黄金の三角地帯はなぜ人々を惹きつけたのか

麻薬が渦巻く黄金の三角地帯などと言えば、八十年代の東南アジアを旅する若者にとっては、とても大きなロマンであった。通常の観光ルートから離れて、未知の世界に飛び込んでみたいという冒険心を大いに刺激したものである。
なぜであろうか。麻薬自体が日本では一般的ではなく、ジャングルでの武装闘争、国境を自由に越えて暗躍する麻薬組織、など、日本ではあり得ないことども が一体となって醸し出す不思議な魅力。間違えれば命を落としかねないものこそが、冒険と呼べるとすれば、それは、究極の旅になるはずだ。

 そうして、当時、多くの日本の若者がこうした世界に惹かれていったのである。もちろん、それは旅人だけではない。メディアにしても同じことである。人がやれないことをやって、初めて自分に価値が出る。壁一枚向こうの非日常に、自分の可能性をぶつけて、一回り大きくなって日常に凱旋することを夢見ていたのであろうか。

現実的にたどり着けるような近場にあって、しかも、世界最高レベルの危険な香りを放つ黄金の三角地帯は、こうした目的地としては最高の場所であった。七十年代、「人類史上もっとも自由に報道できる最後の戦争」と言われたベトナム戦争が終わり、行き場を失った情熱は東南アジア各地に分散したが、黄金の三角地帯はこうした対象の代表的存在であった。

黄金の三角地帯もの出版ブーム

そうした中で、八十~九十年にかけて、少なくない著作が世に出された。もちろん、その陰には、日の目を見ることのなかった、無名で無数のフォトジャーナリストたちの、悲喜こもごもの活躍があったはずだ。

 これらの著作には、センセーショナリズムの追求と、情報力や分析力の欠如という、決定的な特徴と共通性があった。センセーショナリズムの追求は、刺激がなければ注意を引くことのない日本の受け手のせいかもしれない。また、分析力の欠如は、百聞は一見にしかずを合い言葉に、飛び込むことこそがいちばんとさ れ、調べてみれば百見は一聞に如かずのことでも、とにかく飛び込むことを正当化する必要に駆られてのことであろう。

実際、細々とした分析は、取材のぼろが出るもととなり、元々そのようなことになんら興味を持っていない受け手を退屈にさせる。テレビであれば、リモコンのスイッチ一つで捨てられてしまう。本当に黄金の三角地帯を知ろうとしても、こうした作品群が、その著者の伝奇としてはおもしろくても、知識としてはほぼ供することがない。それは、こうした問題点が読後に表面化した結果に過ぎないのであろう。

さらに、我々日本人は、この地域を知る上で、先天的ともいうべき弱点を抱えている。それは、我々はいくら努力して近づこうとしても、国境を接していない、当事者との関連性がないという越えがたい一線である。この一線は努力では埋まらないのではあるまいか


中国人と黄金の三角地帯

黄金の三角地帯と国境を接していて、その上、陸路から広がる血縁関係を持っている。この条件は中国人にこそ当てはまる。この血縁関係は、そのまま、中国 人の子孫、もしくは、中国人そのものといってもよい人物が、黄金の三角地帯の主要なプレイヤーになっていることからも窺える。
これは、別な言い方をすれば、二つの特徴を示している。中国人である以上、親戚の親戚や、友人の友人をたどっていけば、いつかは、こうした人物に接しうるという血縁的連続性。もう一つは、陸続きである以上、極論だが、国境を越えて歩いて行けば、そこはいつか黄金の三角地帯であるという地理的連続性であ る。

また、黄金の三角地帯の主要なプレーヤーに中国人が多いことは、間接的にこうした著作にも影響を及ぼす。外から眺める客観視と同時に、内側から眺めると いういわば主観視の、二つの視点を兼ね備えうるということも重要だ。中国人と黄金の三角地帯は、近すぎても国籍が違えば他人であり、遠すぎても無縁ではないという、微妙な感覚で繋がっているのである。
このことは、我々日本人が所詮はよそ者でしかないという点と比較すれば、黄金の三角地帯に関して、彼らの見方を借用することの有用性が理解できるであろう。実際、中国人が書き記した黄金の三角地帯ものは少なくない。

黄金の三角地帯と中国語作品

そうした中国人の立場が描き出す黄金の三角地帯とはどんなものか。そして、その視点を借用することで、我々が理解できることは何か。
中国アマゾンで、黄金の三角地帯の中国語「金三角」で検索してみると、麻薬、犯罪、歴史などはともかく、経済開発や観光までもテーマとなっていて、およそ三十タイトルほど出てくる。
驚くべきは、そのうち少なくないタイトルは、出版年度がまだ新しいということである。大陸の出版が比較的自由になったのが最近であるから、そんな皮肉もいえるが、自由な出版が早い時期から許されていた台湾でも、少なくないタイトルが出版されている。九十年代前半までに、関連する新刊が姿を消した日本とは大きな違いである。

 この情況が示しているのは、中国人にとって、黄金の三角地帯は、過去のみならず、いまだに生きているという動かしがたい事実であろう。接しているという現実は、武器や麻薬の運搬の容易さ、犯罪の容易な浸透など、マイナス面ばかりではない。旅行や経済交流などプラス面の作用も大きいのである。

黄金の四角地帯へ 中国の復帰

近年の中国の経済発展については、賛否両論あれどその現実を否定できる人はいないであろう。そして、中国は東南アジアに対して圧倒的な力で経済関係を深めている。

 国境貿易や国際河川の共同開発、投資や貿易協定など、これでもかとばかりに繰り返される中国のタイ東南アジア進出は、九十年代になってからこの黄金の三角地帯に対して、中国という一角を加えた、「黄金の四角地帯」という呼び名を生んだ。
また、ミャンマーやその他インドシナ諸国に対する浸透なども、いまでは当たり前になっている。タイ北部では、中国人が大陸から乗り付けてきた、見慣れない国際ナンバーの自家用車を見かけることも多くなった。

観光開発や経済開発は、中国と周辺国にとってのメリットとなっており、好むと好まざるとを問わず、このことは、不可逆的な現実になっている。観光や経済開発に関する出版物が多いのは、このような現実と関わりがある話でもあるのだ。しかしそれは、一朝一夕に始まった出来事ではなく、中国と東南アジアの過去、そして、冷戦などの戦後史が染みついているのである。

訳文閲読の前に解説を試みるという形で、順番が逆になってしまったが、今回取り上げる二冊は、そうした情況が現出する前の、下地ともいうべき現代史のある段階を、詳しく描き出したものといえる作品である。

 

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