【異域】あらすじ

 一九四九年、中国大陸に人民共和国が成立した。蒋介石一党は台湾へ逃げ、国共内戦の大勢はほぼ決しつつあった。中国大陸はみるみるうちに共産党に飲み込まれていった。
 そしてそのころ、北京から遠く離れた大陸最後の国民党の拠点、雲南省昆明。国民党軍は最後の反撃を試みるがあえなく壊走。撤退を重ねてついにはビルマ奥地へとたどり着く。
 襲いかかる敵との死闘。日常的な飢え、困窮、熱帯病。次々と戦闘で倒れていく戦友たち。満足な補給もなく、自らの大義のために絶望的な戦いを続ける国民党軍は、いつしか孤軍と呼ばれていた。
 それから十数年。任務を帯びてタイの首都バンコクに潜伏する一人の男がいた。男の名は鄧克保(デンクーバオ)。彼の回想からこの物語は始まる。

第一章 共産中国成立 昆明失陥、大潰走、雲南彷徨   

 当地の省主席廬漢はすでに共産党への内応を決め、手元の少ない兵力で昆明をかろうじて占拠しつつ、できれば国民党軍を掌握して、ともに帰順させようと画策していた。
 そのころ、鄧克保は、上官の李彌将軍とともに省政府での廬漢らとの談判の途中で拘束されてしまい、国民党軍の帰順に関わる書類への署名を強要されるが、上官の機転により辛くも逃げ切った。
 一方、最後の拠点を死守すべく昆明を包囲して猛攻を加えていた国民党軍は、一人の将官の謎の判断による大部隊の戦線離脱と、人民解放軍野戦部隊の到着によって総崩れとなってしまった。
 昆明の包囲を解いて撤退した国民党軍は、雲南省南部を転戦しながら各都市で防御線を構築して体勢を立て直そうとする。だが、元江の会戦において決定的な敗北を喫してしまい、全軍は崩壊してしまった。
 敵の包囲を突破した一部の部隊は、残兵を吸収しながら生存のための退却戦を余儀なくされていく。国民党軍はこの頃から孤軍と呼ばれ、多くの落伍者を出しながら、度重なる退却の末、もはや中国国内には、彼らが退却できる一寸の土地も残されていなかった。
 司令官李國輝将軍以下国民党軍将兵たちは、中緬国境を越えてビルマへと退却するか、帰順するか、運命の二者択一を迫られることになった。

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第二章 運命の四時間 祖国脱出、ビルマへの撤退    

 中国領内最後の土地で人民解放軍の帰順勧告を受けた孤軍。解放軍司令官が送り込んできた使者によれば、わずか四時間の猶予しかない。その間に帰順に応じるか、ビルマへの撤退を終えなければならないのであった。
 闘争の継続とビルマへの撤退を選んだ孤軍は、人民解放軍からの使者を待たせておき、投降の準備を装って時間を稼いだ。その間にビルマ領へ向けて四時間の撤退作戦を敢行して、中国領内から忽然と姿を消す。
 ビルマ領内に入った孤軍は、少数民族の集落に避難していた他の負傷兵に出会う。そして彼らの話から、他の部隊がすでに越境していることを知った。
 そのころ、その負傷兵たちの指揮官は、救援を求めて急ぎタイへと向かっていた。兵力を増やす必要に迫られている孤軍は、共闘を説得すべくこの指揮官を追った。
 途中、人食い虎の出没、ジャングルの瘴気やマラリアなどに何度も行く手を阻まれながら、十日間の苦しい急行軍は続いた。タイ国境まであと一日というとき、ついにその指揮官に追いつき、話し合いの末、統合に合意、兵力の吸収に成功する。

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第三章 ビルマ軍との死闘 第一次中緬大戦       

 部隊の統合に成功した孤軍は、少数民族やキャラバンを営む雲南系華僑である馬幇の協力を得て、大陸反攻には及ばないものの、勢力を少しずつ盛り返していた。だが、そのことで、国内に外国の軍隊が駐屯することを望まないビルマ軍との軋轢が生じ始めていた。
 目的はあくまで中国大陸への反攻にあり、ビルマに永遠に留まることを意図していないという孤軍側の説明はビルマ側に拒絶され、孤軍側は談判に赴いた代表を拘束されるなど、ついには双方が衝突する事態になってしまう。
 台湾からの補給は拒否され、弾薬が空に近い孤軍の情況はビルマ軍に把握されており、長期の戦闘は不可能であった。ビルマ軍は大量の補給に支えられており、緒戦から重火器や兵力を存分に投入した戦闘を続け、物量にも兵力にも乏しい孤軍を圧倒する。
 本拠地を手放し、撤退を続ける孤軍を執拗に追い続けるビルマ軍。しかし、ビルマ政府からの仕打ちを恐れていた馬幇を中心とした華僑たちから、土壇場で武器弾薬の提供を受けることに成功した。奪い取った重火器などでさらに装備を充実させて反撃に転じた孤軍は、反対にビルマ軍を撃退してタチレクを占領した。やがて双方は停戦合意にこぎ着け、念願の大陸反攻へ向けて、根拠地の建設を始めた。

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第四章 雲南反攻作戦発動 孤軍、祖国の土を踏む    

 台湾から指揮官を迎えた孤軍は、
根拠地建設を続けた。大陸反攻への準備も進み、地元の少数民族や華僑子弟などから兵を募り、兵力もふくれあがっていた。
 ついに雲南への反攻命令が下り、孤軍は大陸反攻軍を編成した。兵を北回りの本隊と南回りの陽動部隊に分けて、雲南省の南側に人民解放軍の主力を引き付けておき、そのあいだに北回りの本隊が兵力を吸収しながら昆明を奪取する戦略であった。
 大陸反攻軍は出撃し、ついに祖国の土を踏んだ。雲南省内の四県を占領して青年を徴募するなど、当初は勢力を拡大しながら進撃を 続けていたが、陽動部隊が予想のほか早く撃破されてしまったため、大兵力を急速に集中し始めた人民解放軍が反撃に転じると、大陸反攻軍本隊は苦戦を強いられることになっていく。
 退却戦の中、鄧克保は部下とともに捕虜となって拷問を受けたがその場をなんとか脱出して山中に逃げた。逃避行の途中、崖から滑り落ちて道に迷ってしまった彼らは、偶然にも国民党軍兵士たちの骸を見つけた。そのとき、一陣の小さな竜巻が起こり、彼らを先導していくという奇跡が起きる。彼らは無事、部隊への合流を果たしたのであった。
 そして大陸反攻時に徴募した兵力を加え、いままでで最大の勢力となった孤軍は、大陸反攻のための政治、軍事の拠点として、本拠地である猛撤に反共大学を成立させた。

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付録一 鄧克保が編集者に寄せた手紙【一】       

第五章 孤軍絶体絶命の危機 第二次中緬大戦 
     

 拷問による傷も癒えてきた鄧克保は、障害を持つ娘を医者に診せるため、家族全員でバンコクへ行くことになった。家族は車窓に広がる広大な青田を眺め、バンコクでは高層ビルや忙しく動き回る人々、交通渋滞を目の当たりにして、眩暈がする思いであった。
 やがて、上官の李國輝将軍夫妻と出会うことで、ジャングルで戦い続ける戦友たちには想像もできないような贅沢な生活を目の当たりにした鄧克保は、上層部のあり方に疑問を抱きながらバンコクを後にして戦地へと戻っていった。
 その後、ふとした事故で娘を失ってしまった鄧克保は、ビルマ軍による奇襲の情報を受ける。しかし、今回は、インド系の傭兵や、精悍な少数民族山岳兵を大量に投入し、その規模も精強さも前回の比ではなかった。
 基地にいる残存兵力をかき集め、急ぎ前線への増援に向かう克保だったが、孤軍は彼我の圧倒的な兵力と物量の差や、ビルマ軍の容赦のない残忍な戦法に苦戦を強いられる。孤軍は士気を振り絞って山中を駆け回り、決死の覚悟で肉弾戦を繰り返す。また、戦術を巧みに運用して立ち向かい、大きな被害を出しながらもついに辛勝する。
 だが、ビルマ軍に対する勝利のあとには、ビルマによる国連への提訴、そして、孤軍の運命を左右する四カ国会議が迫っていた。

訳文からの抜粋へのリンク (10) (11) (12)

第六章 バンコク四ヵ国会議 勝利、異域撤退へ     

 四カ国会議を前に、さまざまな憶測に揺れる孤軍兵士たち。戦場から戻ってきた克保を待っていたのは、娘に続く息子の死であった。涙が乾く間もなく、孤軍全体が撤退賛成と不賛成に色分けされていくなか、克保は自らの義のあり方に思い悩むのであった。
 四カ国会議で孤軍の台湾への撤収が決議された。克保と妻政芬は、子供たちの墓に参り、台湾への撤退を語りかけていた。その墓地では、いまはなき肉親との別れを嘆く嗚咽が周囲にこだましていた。
 撤退の日。ビルマ領タチレクからタイ領メーサイの間に架かる橋を、
関係各国の国旗が翻るなか、各国の外交官たちに見守られながら整然と行進して撤退していく孤軍兵士たち。そして飛行場に到着すると、台湾へ飛ぶ輸送機に乗り込んだ。
 だが、克保が搭乗する輸送機はエンジンの異常でピッサヌローク空港に不時着する。墜落の恐怖の中で目にしたパイロットたちの不屈の努力、そして、不時着後にパイロットが語った、パイロットは乗客と機体を最後まで見捨てないという言葉に、克保は自らの道義のあり方を重ね合わせるのであった。
 代わりに飛来してきた台湾行きの飛行機が飛び立つ。だが、機上には克保の姿はすでになかった。彼はこの地に居残って、道義のためにあくまで戦い抜くことを心に決めたからであった。

訳文からの抜粋へのリンク (13) (14) (15)

付録二 鄧克保が編集者に寄せた手紙【二】

 

以上全六章+付録(※実質的に本文の一部)

 



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