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 我々はこの世にビルマ軍ほど軍紀の乱れた軍隊が存在することを想像だにしなかった。彼らは彼らの同胞に対して、敵に対するよりも、さらに人間性や理性がない。彼らが行う姦・淫・焼・殺の四文字すべてが、我々外国人でさえ見るに耐えないものであった。
 ビルマの善良な庶民は、国防軍に刀を突きつけられて、金銀を差し出していた。ビルマの良家の子女は、彼女らの国の国防軍に張り倒され、足蹴にされ、哀切しながら衣服を剥がれていった。結果はといえば、ビルマ軍は砂漠に乗り上げた丸木舟のごときであった。
 我々外国人の軍隊が、反対にビルマ人たちの協力と嚮導を浮け、反撃して彼らの退路を断ち切って、一部隊ずつ射殺または捕虜にした。こうして戦いは、彼ら自身が失敗を認識する八月二十三日まで続くことになる。
 今回の戦闘は、陸上攻撃とともに、空軍も出動して爆撃を加えてきた。孤軍は小猛捧を一時撤退せざるを得ず、山区に退いたが、これは一時的な現象であっ た。ビルマ軍の攻撃を躱したあと、現地人の情報に基づいて我々は改めて反撃に転じた。七○九連隊|張復生《チャンフーシェン》副連隊長が、正面の敵に対す る総指揮に就き、二七八連隊|沈鳴鋳《シェンミンチョウ》の一個大隊と、|葉鼎《イェディン》の一個大隊は防衛任務に就いたほか、|陳良《チェンリィア ン》の一個大隊と七○九連隊|董亨恒《トンハンホン》の一個大隊の二個大隊が突撃任務に就いた。
 この大隊長たちの勇敢な実績と赤誠ともいえる忠心は、戦史に記載を残すべきであると思う。中国ビルマの辺境地区における反共の大業は、枯れてはいても鋼 のような筋肉の上にうち立てられたといえるだろう。たとえ、彼らがよその人々にはまったく知られていなくても、彼らが自らの血をもって記したこの歴史はす べて真実なのである。

 六月二十八日、ビルマ軍が攻撃を開始してから十二日後になって、李國輝はようやく反撃を命じた。そして、ビルマ政府も全国に動員令を発し、やがて一万余 名の増援が到着した。我々は山に分け入って捜索を開始し、敵の大軍の足元が定まる前に行動に入る。董亨恒大隊長率いる四、五百名の仲間が、駆けるような速 度で山中の林を七時間の急行軍で駆け抜けること百四十里、払暁のころに|猛果《モングオ》に到達した。
 この戦いは音の出ない戦いであった。その夜は、満天の星空であったが、月は出ていなかった。透明な大地は、まるで水晶細工のようであった。四百以上の黒い影が、飛ぶように続々と前進した。声も息も立てず、火も光もなく、ただ、雨音のような足音だけが響く。
 我々が猛果に到着したとき、ビルマ軍の哨兵はすでに背後から襲いかかった我々の仲間に首を締められて連れ去られていた。董亨恒大隊長も自ら前面に立ち、 一隊を率いてこの村を占領した。ビルマ軍の行為に悲憤した土地の原住民の手引きで、董大隊長は隊を率いてそのままビルマ軍の司令部を急襲した。
 しかし、彼は少し遅かった。急襲したとき、ビルマ軍の司令官はすでにその身を翻して現場を離脱していた。暖かい部屋の中に、縮こまった一つの裸体が見えた。恐怖に慄く白夷の少女だった。
「もしもあいつを捕まえたら」
董大隊長は私に言った。
「あの子の代わりに奴の顔に唾してやる!」






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