(8)


 罕裕卿の出発と時を同じくして、葛家壁大隊も指令を受けて岩師へ進出した。
 地図上で見るかぎりでは、岩師の重要性はよく見えてこない。しかし実際は、ビルマの猛撤同様、大平原と人口が多いこの盆地は、雲南西部の重鎮なのだ。し かもここは中国籍カワ族たちの指導者、彼らから岩師王と仰がれ、滄源県知事を努める田興武の本拠地である。彼の手下の五個民兵大隊の精悍な兵力は計三千名 ほどもあり、この一帯の安定の源となっている。田興武は最終的には反共の立場をとることになるのだが、この段階ではまだ迷っていたようであった。それゆ え、我々が進攻してきたとの情報に接すると、民兵に迎撃の命令を下したのであった。
 私は再び葛大隊に参加して出発した。一日目の夜、|糯良《ヌゥオリャン》に到達した。糯良の村民たちは、恐慌と懐疑の眼で我々を注視していた。彼らは何を聞いても答えず、我々は何も買うことができないのであった。
 我々は敵意が充満しているカワ族の地域に進入していることはじゅうぶん分かっているので、慎重の上にも慎重を重ねた。葛大隊長自らが指揮して村を封鎖 し、警戒線を越えて村を離れようと企図する村人は射殺した。だが、岩師の民兵の進攻は阻むことができなかった。空が暗くなり始めたとき、田興武が率いる二 個のカワ族大隊、約一千名余りが攻撃を開始した。
 糯良での一戦は、戦史上取り上げられることのない小さな戦闘だが、我々は驚きと恐怖をいやというほど味わった。カワ族青年たちは勇敢に善戦し、我々を押 し返し、我々は少しずつ後退していった。あのあたりでは、ほとんどすべての場所で敵意に囲まれているといってよく、我々は村の中心を死守して救援を待つほ かなかった。だが、援軍は地理に暗いため、途中に埋められた伏兵を警戒しなければならず、到着はどうしても翌朝陽が昇った後になってしまうということで あった。私と葛家壁大隊長は徹夜で通信機のそばにいた。
「君たち、朝まで持ちこたえられるか?」
張復生連隊長は滄源から聞いてきた。
「我々は命をかけて持ちこたえます、命をかけてでも」
葛大隊長は答えた。
 空が白みかけたころ、鄒浩修と陳顯魁の二個大隊が到着し、やっと包囲が解けた。葛家壁は自分の出撃に喪失感と怒りを抱いていた。彼は、田興武と、その日 夜襲を行った叛徒を撃滅することを心に誓った。彼は戦死した部下たちの骸を岩師の平原に埋葬したが、ここまでで終わった。なぜなら、田興武がこちらに寝 返った後、我々はこの骸を岩師まで運び、盛大な葬儀とともに改葬したからである。
 田興武は六月二日にこちらに寝返った。この功は、一人の尊敬すべき青年、|丁世功《ディンシーコン》に帰するものだ。彼は、共産党に焼き殺された陸光雲 のように大胆不敵な男であった。戦乱の中で過ごした私の一生において、忠貞な人や勇敢な人ならば数多く見てきたが、丁世功と陸光雲のように、死亡に対して 平気で微笑んだり、恣意的に死を弄ぶような人間を見たことがない。

 歴史上、我々は戦時の論客を見ることがあるが、功を立てるか、あるいは殺されるか、いずれにしても我々はそれを淡々と読んでいただけである。だが、丁世功が自ら勇気を振り絞って田興武のもとへ遊説に赴くとき、私はこの種の仕事の陰々とした怖さがよく理解できた。
 私は自分が遅かれ早かれ戦死してしまうものと思っている。ただ、できれば本当の意味での戦死を願っている。苦しむことなく一発の銃弾で終わるように願っ ているのである。しかし、敵と笑いながら宴会に興じたり、ガソリンをかけられて焼き殺されるとか、刀で少しずつ切り裂かれるといったような任務を引き受け る肝っ玉は私には備わっていない。
 だが、丁世功はまるで気にしていないかのようであった。田興武が彼を殺すかもしれないと、私が彼に警告したとき、彼は言ってのけた。
「彼が殺したいならそうさせればいいんですよ。首を一本ちょん切るぐらい、お椀一個分の大きさのこぶを切り取るようなもんです。私は犬とまぐわうような人 間でも怖くありませんよ。でもね、もし私が死んだら、皆さんはさっさと進攻して、きっと奴をとっ捕まえて、奴の首を刎ねて、私の股ぐらにでも置いといてく ださいね!」
 彼はこうも軽々と、まるで自分ではなくて他人事であるかのように話した。我々は彼を門まで送ったが、彼は白旗を挙げた。そして、街に出てトランプの札を買いに行って、またすぐ戻ってきては博打に興じるような感じで、嬉しそうに出て行った。
 そして今回彼は、我々反攻部隊のために奇妙な功を上げた。つまり、田興武は彼に説得されてしまったのである。その後、田興武は軍を率いて|雙江《シュアンジァン》に進攻するのだが、しかし、まさにその一戦で丁世功は戦死してしまったのである。
 我々の忠烈祠には、まだ彼の位牌が残っているが、心配のかけらもないような彼の笑い声、左右両利きでピストルを撃てる分厚い手が忘れられないのである。







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