(15)


 二日目の夜。私は張復生将軍に、自分がこの地に留まることを伝えた。彼は困惑と不安の表情で私を見つめていた。おそらく、この決意が、私の真意から出たものではないと疑っていたのかもしれない。彼が黙っているはずがなかった。
「復生さん」
私は機先を制した。
「あなたに迷惑をかけて済まないと思っています。あなたが引率している一隊から一人が抜ければ、どうあろうとこれは軍紀違反になるでしょう。いわれのない 手間を取らせることもわかっているつもりです。ですがちょっと違うこともある。私は前線から脱走したわけではなく、後方に撤退してから脱走するんです。私 には、二人の子供の墓だって、たくさんの戦友たちの墓だって気になって仕方がない。私はやはりあそこに戻るべきなんです。残った仲間たちがいつか立派に なって、覆滅の際から立ち直って強い軍になり、いつかは昆明を奪い返し、そして北平も奪い返し、やがては台湾にいる同胞が、故郷に戻れればそれが私には嬉 しいのです。もしそれがだめなら、いつでも戦死する覚悟です。ですので、私のために苦しまないでください。他の人のように、私は自分のためにこうするん じゃありません。ただ、私は我々の国家にはそうあってほしい。私が居残ることで、別に誰の妨げにもならないと思います。あなたが私たち夫婦をタイの警察に 突き出すことなど絶対にあり得ないと信じています」
「奥さんのことを考えないのか!克保さん」
 私はびくっとした。妻のことを持ち出されることは辛かった。おそらく私の主義主張は、彼の話によって曲げられてしまうかもしれない。私は祖国を愛し、妻 を愛し、子供たちを愛している。だが、子供たちはもうすでにこの世にいないものの、妻のことを言われると、彼女の涙の一粒一粒が、痛みとなって私の腹の底 に染み渡るようであった。
「復生さん」
私は返した。
「私は操縦士の話が忘れられないのです。彼は、飛行機がもっとも危ないときに、飛行機を見捨てず、なんの縁もない乗客を見捨てることもない。ならば、私 だって、救世主を見るように私たちの指揮を仰いでいる、遊撃隊の仲間たちを見捨てることはできません。それに、我々を保母のように慕ってくれる華僑たちも いるのです。あの操縦士の話を思い出すと冷や汗が出ます。この不安は死ぬまで続くでしょう。わかってください。復生さん」

 ~ ・ ~ ・ ~

 ここには物語もない。アメリカ西部劇のようなロマンティックなシーンもない。ただここには痛苦、そして、永遠に消滅しない闘志があるのみだ。

 かつて、イタリアのとある将軍は、自分の部隊に入隊を希望する者と部隊の待遇について尋ねた者に対してこう答えたという。
「我々のここにおける待遇は、飢え、疾病、ぼろぼろの衣服、一日中敵に追い回されて生きる日々である。負傷しても薬はなく、呻いて死ぬしかない。捕虜になれば私刑を加えられ、反逆者のレッテルを貼られる。だが、我々は、イタリアの自由と独立のためにのみ存在する」
 私はこの将軍の話がそのまま我々に当てはまらないかと思ったりもする。

 我々の苦難には、我々自身が思い返す度に戦慄させられている。我々の仲間たちが月明かりに照らされる夜を恐れる理由はここにある。我々は当初の孤軍よりも医薬品は少ない。弾薬も、書籍や雑誌もやはりない。だが我々はまだ闘志を失ってはいない。
「傷心極まれば、声高らかに歌い、男は決して涙を見せない」
といきたいところだが、我々は実によく泣く。なぜなら、我々の涙は我々の傷を洗い、そして癒してくれるからだ。我々はいつも声高らかに歌う。我々自身のために。我々の前途のために。さらに、より多くの苦難に晒されている同胞たちのために、歌声も、涙も。

 もうここで、本当に終わりにしなければならない。私はすぐに戻らなければならない。ご覧のとおりだ。この世界はかくも乱れ、また、かくも寂しい。しか し、林の中から聞こえる仲間たちの声は、私の血を熱くさせるのだ。では、愛する兄弟たちよ、我々のために祈っていてほしい。いつかまた会おう。



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